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その発祥が“大和”だとされる食品は多い。 清酒しかり、饅頭しかり。蘇(古代のチーズ)という乳製品の一種が作られたのも奈良がはじめてなのだとか。 暑い夏が到来すれば恋しくなる涼しげなそうめんもまた、この地で古きルーツが語られる。 そうめんの誕生は、今から約1200年前のことと伝わる。 桜井市三輪に鎮座する大神神社の初代宮司・オオタタネコの子孫のひとりに大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)がいた。そうめんの生みの親は、その次男の穀主(たねぬし)である。 飢饉と疫病に苦しむ民の姿に心を痛めた穀主。救済を祈願すると啓示があり、巻向川と初瀬川に挟まれた肥沃な三輪の地が小麦の栽培に適していることを知る。そこで種を蒔かせ、水車を利用してひいた小麦粉を原料とした保存食である“そうめん”を作り、地域の生業として発展させようとしたという(『大神神社史料』)。 こうした伝承により、大神神社のお膝元・三輪は「そうめんの故郷」とされてきた。同神社は全国のそうめん作りの関係者らから篤い信仰を受け、また、そうめん発祥の地にふさわしく、毎年2月5日にはそうめんの卸値相場を占う卜定(ぼくじょう)祭が行われるなど、その深い縁を語り継ぐ。
伝承はともかく、そうめんの歴史は奈良時代に中国より伝来した「索餅(さくべい)」にはじまるとするのが通説だ。 縄をなうという意味の「索」の字があてられている通り、索餅は縄状の形をしていた。それゆえ和名では「无岐奈波(むぎなわ・麦縄)」とも呼ばれたらしい。 ただ平安時代頃まで索餅は庶民の口に入るものではなく、宮中の儀式や饗宴に用いられる希少品だったという。 鎌倉時代に中国から新たな製粉技術がもたらされ、さらに受け継がれ続けている「生地に油をつけて伸ばす」製法が取り入れられて、縄状だった索餅が今のような細い“そうめん”へと進化した。 “そうめん”の名称が一般的に使われるようになったのは室町時代から。 現在とほとんど変わらないそうめんの製法は江戸時代中期に確立しており、また、約19センチメートルにそうめんを切りそろえるようになったのもこの頃だとされる。それまでは切る手間を省いた長そうめんだったらしい。2メートル近くの長さがあったというから驚きだ。
「大和の三輪」の地名は、そうめんの名産地として江戸時代中期からすでに全国に轟いていた。今や「三輪素麺」はブランドとしての地位を築き、生産者で作る奈良県三輪素麺工業協同組合(桜井市)らによる厳格な基準のもと、高い品質を保持し続けている。 三輪素麺の特徴は、機械化できるところには新しい設備を導入しながらも、伝統的な手延べの製法を守り続けていることにある。 手延べとは、簡単にいえば包丁を一切使わずに細く細く引き延ばす製法のこと。麺をひねりながら2本の管に8の字にかけ、熟成と引き延ばしを2日がかりで繰り返すことで、小麦から精製されるタンパク質のグルテンが“整列”し、コシが出るという。 味わいの違いはもちろんだが、このコシゆえの“伸びにくさ”も三輪素麺の大きな魅力といえるだろう。
通常、麺の直径が1.3ミリメートル以下のものをそうめんと規定するが、三輪素麺には太さによる等級別の種類がある。組合の商品には神杉(かみすぎ)、緒環(おだまき)、誉(ほまれ)などが挙げられ、最高級品に位置づけられる神杉は直径0.3~0.5ミリメートルという極細さ。細ければ細いほど麺につゆがからむといい、のどごしの違いも歴然である。 神話に語られ、そして三輪の人々の手間暇惜しまぬそうめん作りの情熱に育くまれた三輪素麺。今後のさらなる魅力の発展が楽しみである。
取材先:奈良県三輪素麺工業協同組合
本文中の情報は平成29年6月30日時点のものです
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